ネコのように暮らしたい

ジャニヲタアラサー女の日常や趣味のあれこれ。

「普通」について考える

 

 

 

「普通」という言葉に囚われて生きてる。

 

普通はいい歳だから大抵みんな彼氏がいる

普通は彼氏を欲しがる

普通はその歳なら大抵結婚してる

普通は就職して立派に働いてる

普通はその歳なら貯蓄がこの程度ある

普通は友達がたくさんいる

普通は流行に乗ってるしスマホを持っててラインもしてる

 

他にも世の中に数え切れないほどに、溢れる「普通」。

なんだか、普通から外れないように、「平均的」に生きないといけない気がしていて。日本人って特に「普通」に囚われている気がする。現に私も囚われている。自分でも思う。いつからか、強めに感じるようになってしまった気がする。

他人事として他人を眺めていれば、自由に好きなように生きた方が良いよ!と思うけど、主観的に眺めれば、ある程度決められた枠に収まっていないと、変な人扱いや微妙な目線で見られるのじゃないかと不安になる。

きっと昔よりは生きやすくなってるはず。それでも、"今"しか知らない私にとっては、十分生きにくいのだ。

 

小学校中学校高校と行き、大学に進学。その後は新卒で就職して、いわゆる適齢期ごろに、そこそこの歳で結婚。

子供も産まれ、場合によっては共働きながらに、そこそこ満足できる収入の元で暮らす。

私の想像する、日本人の多くも恐らく想像するであろう、「普通」な人生。平凡という言い方も出来るけど、その人生を送るのは案外簡単そうで難しいと思う。上がり下がりが少なそうな人生だけど、私は憧れてしまうのだ。

 

子供の頃は、あれくらいの歳になったら多分結婚してるんだろうな〜とか思っていたけど、特にそんなこともなかった。それに、私の考えてる(なんとなく感じ取れる世間の)「普通」だと大概ある、結婚したいという願望も大して持ち合わせていなくて。

流行りのファッションはそれほど取り込まず、就職はしているけど友達は多くないし、思い描く「普通」から外れていく感覚。考えると、これは意外と精神にくる。

 

ファッションなんかは結局元を辿れば、"みんなが着ているから着る"という考え方、洗脳感から着ている人も結構いると思う。私は元々、基本的に着たい流行の服が無いから着ないのも十分理由にあるが、根底に流行という名の"みんながやっているからやる"という流れに歯向いたい、という反発心が少なからずあると思う。

そんな私の服装も、個性があるのか?と言われると無いかもしれない。だけど、"みんなが着ているから着る"ために服を選ぶより、"着たいから着る"という流れで服を選びたい。私は流されやすい性格だから、余計にそう思うのだ(まあ、好みな流行の服があれば着るのだけど)。

 

世の中に溢れる平均値も、日本人の「普通」を現して見せてくる。"平均"や"ランキング"など、その中での自分の順位や位置を突きつけてくる。平均やランキングでの上位なら安心と優越感を、下位なら不安と焦燥感を与えてくる。こうやって書き出してみると、これらを参考にしたり見たりするのはあまり精神的に良くないなあと思ってしまった。流されやすい人間は特に、揺さぶられてしまうから。

 

会社に行けば、どれも「普通」にこなさないといけない感じがあるし、主婦なら家事を「普通」にこなさないといけない感じがある。世間は「普通」の人間を求めてくる。

でも、そもそも「普通」って何なのか。

以前、彼氏に「ぴこの考える普通って何?」と言われた。彼は、比較的自分を持っているタイプであり、私のように揺さぶられにくいのだと思う。それゆえ、改めて言われた時、私の考える「普通」は?と自問自答し、結局平均から外れるのが、外れて色んな目線で見られるのが、嫌なのだと再認識してしまった。思ったより根深く、「普通」に対して囚われていることにも。

「普通」に囚われながらも、「普通」に逆らおうとしながら生きてる。簡単に済ませるのならば、気にしなければ良い、の一言だ。でも、それがなかなかできないTHE日本人の私。

今日もまだ、「普通」を求められる世間では生きづらい。